読書記録『氷壁』(新潮社・井上靖)

山岳小説じゃなくて恋愛小説だった

山に登ることよりも、美耶子とかおるに対する思慕がメインだった。

ゴツゴツした山岳小説を期待していたから、少し肩透かしを食らった感は否めないけど、恋愛小説として感想を残したいと思います。

とはいえ、井上靖の風景描写は絵画的で、冬山や都会の雑踏が目に浮かぶようだった。途中、ナイロンザイルの性能実験を河原で昼寝しながら待つときの黄緑色の風景は、風のさわやかさと平穏さが、とても際立っていた。

親友の小坂を失った冷酷で誘惑的な冬の穂高の絶壁と、世間体を気にする薄情でもろい都会。事故の原因に迫る一歩手前、実験が終わるのを待つ柔らかな河原は、山と都会のはざまの、一瞬の安穏の地だと感じた。

それから、魚津が落石で亡くなって、遺骨が列車で東京に戻ってきたシーンの汗びっしょりな常盤の様子も印象的だった。山に心を奪われた若い部下を失った上司として、「くそっ」と毒づいたのは、無力な自分に対してではないかと思った。その、分かりづらくて俗人的で、不器用なおしゃべりの支社長。魚津と距離感を保ちながらも、大人らしい支え方だと思った。

小坂を荼毘に付すシーンの神聖さも、脳裏に焼き付いた。結婚を決意したかおるの告白はとても唐突に感じられたけど、あそこじゃないと決まらないセリフだな、と思った。

 

物語のほとんどが、小坂を穂高に残したまま東京で過ごす半年間なので、世間からの「魚津がザイルを切ったのではないか、小坂の自殺ではないか」という疑いにさらされた魚津、小坂との不倫がばれるのではないかとびくびくし、かおるの若さに嫉妬する美耶子、得意先と魚津の間で板挟みになる常盤などなど、人を信じる難しさの中でずっともやもやした状況だった。

読んでる当時は中だるみし欠けた部分もあるけど、全体を振り返ると、ザイルのように細い糸がねじられ、より集められた様子と重なり、そして美しい風景描写で彩られたいい作品だな、と思った。長いから読み返すかは分からないけど!